自己満足は大切。

 

こんばんは。

 

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今日は少し真面目に語りたいと思います。

 

 

 

皆さんは「自己満足」という言葉を聞いて、何を想像しますか?

 

様々なニュアンスを持っているので、もしかしたらなんとなく悪いイメージを抱く人も居るかもしれませんね。

例えば、「他人のためではなく自分のためにすること」とか「自分だけ良ければいいという考えで他人のことは考えない」とか。

 

しかしここで私が言いたい「自己満足」はそういった意味ではなく、いわゆる「自己肯定」のようなものに近いニュアンスを持つ言葉のことを指しています。

そして私は、そのような意味での「自己満足」が人間にとって重要なことのひとつだと考えるのです。

 

 

自己満足…

客観的評価に関係なく、自分自身にまたは自分行為に自ら満足すること

 

 

 

「客観的評価に関係なく」というところがポイント。

他人にとってはどうでもいいことかもしれないけれど、自分にとっては大切な価値がある事や物が誰にでもあるものです。

 

そんな、様々な価値観を認め合う社会が在ることを求められている中で、ひとりの人間として精神的な自立をするために個人個人が自己満足欲求を満たしていることはとても重要なことだと考えます。

ある程度自分に満足していて自分を肯定することが出来ている人は、多様な価値観を受け入れることが出来るし、他人を思いやることが出来ると思います。

なぜならば、自分の中に「余裕」「心のゆとり」があるからです。

 

 良くも悪くも私自身その感覚を実感しているのですが、やはりそれはそのように感じるようになった体験や経験が実際にあったからだと考えています。

 

 

 今回はその体験をここに告白しようと思います。

 

私は幼い頃から自分に自信が無く、たくさんのコンプレックスを持って過ごしていました。

そのため自分を肯定することが苦手で長い間自分の中で様々な葛藤があり、苦しんでいました。

 

そんな中で私は「周りから肯定される」ことで自尊心を保つようになり、意識的にも無意識的にも「憧れであるようなレベルの高い集団の中の1番下でしがみつきながら必死についていこうとするような状況」を避け、逆に「自分が【優秀】でいられる環境」を選び、その小さな世界の中で評価されることを常に気にして過ごしていました。

周りから肯定されることにより、その間は自分自身を評価しなくて済んだのです。

それは楽な道であったし、逃げであるのだと感じたことはありましたが、その当時の自分にとってはそれがベストな選択だと考えていました。

 

 しかし、歳を重ねるに連れて関わる人たちは増え、見える世界も広がり、それによって「小さな世界」で肯定されることだけでは自尊心を保てなくなってしまったのです。

そこで大きな壁にぶち当たったような感覚を覚え、私はまた時間をかけて自分と向き合い考え直しました。

 

その時に初めて「自分で自分を肯定すること、自分で自分を満足させること」の重要性を実感することができ、自分のこれまでの人生から軌道修正することを決断しました。

 

先ほども書いていた通り、その当時私は自己評価が低く、自分を保つことに苦労してきたのですが、長い間たとえ小さな世界だけだとしても「自分を肯定してくれた」「自分の存在を特別に思ってくれた」周りの人たちのおかげで強い支えを感じることができ、いつのまにか自分を受け入れることが出来るようになっていたのです。

例えるならばそれは、自分を肯定するためのクッションのような役割を果たしてくれました。

 

その時に思ったのは、強い人は元から強いのではなく「周りからの支えが強い」ということだったのだ、ということです。

 

私の長年の「肯定を得るため」の積み重ねは決して無駄な時間ではなかったこと、自分の中の大きな糧となりひとつの「経験」となったこと、そしてその経験を作ってくれた周りの人たちに感謝しました。

 


自己評価を高く持つようになってからは色々な事が気楽になったし、新たな挑戦をすることにも抵抗がなくなったし、自分を大切に思うことも出来るようになりました。そしてそのおかげで他人のことも大切に出来るようになりました。

 

今でもたまに挫けそうになることがありますが、そんな時こそ自分を満足させるために自分のことを思いやります。



自分を満足させてくれるものに対して貪欲であること、自己投資に力を入れることは大切です。



そして自己満足は自己肯定、そして自己評価の高さへと繋がります。




「自己満足」というキーワードから、何故かこんな話になってしまいましたが、ここまで読んでくれた方はありがとうございました。






たまにはこんな感じで語り出すのも、悪くはないかなぁ〜