自分自身のソーシャルワーカーに。。



私は現在、大学で社会福祉の勉強をしています。
ゆくゆくは社会福祉士の国家試験を受験し福祉職に就きたいと思っていますが、周囲の身近な人からは私がそのような道を選択したことに対して驚かれることが多いと感じています。(高校生の時はギャルやってたからかなぁ。笑)
でもね、意外と志望目的はハッキリとしていたんです。


大学受験前、当時3年間ほど(今では5年になりました…多分。)お付き合いをしていた彼の兄弟が発達障害を抱えていたことがきっかけで、(高校生の考えの未熟さゆえに生まれた純粋な気持ちが働いたのでしょうか...。)障がい者がひとりで働き食べていけるような職場環境を実現させたい、又は改善していきたい、間接的にでも彼の兄弟の力になりたい、というお節介な思いがあり、自然と惹きつけられるように福祉学部を受験しました。

ですが、それから1年間そこで勉強をしていく中で、勉強をするためのもうひとつの重要な目的に気付かされたのです。
それは潜在的なもので無意識の中にあるものでした。

本来ならば様々な問題を抱えている利用者のために相談援助などをしていくことが社会福祉士(ソーシャルワーカー)の役割なのですが、私はそれ以前にまず、自分が自分自身のソーシャルワーカーでありたかったのです。(表現が適切なのかは分かりませんが)

きっと、自分自身も様々な問題を抱えていた人のひとりだったのですが、お医者様にも、警察の方にも、それこそ福祉職などの専門職の方にも、「限界」を感じていました。もしかしたら、まだ出会えていないだけなのかもしれませんが、当時の私はやはりそう感じていたのです。

そのため、自分で問題解決のための知識や技術を勉強し実践していく方がずっと早く効果的だと思っていました。しかし普通なら、そちらの方が遠回りなのではないかと思われるかもしれませんね。


すべての人間は「独自の世界」に生きており、そこで経験していることを完全に理解できるのはその本人しかいない、とカール・ロジャーズも考えていた通り、自分が経験した現実について自分以上に理解できる人はいません。そのことに口を挟める人もいなければ、それが正しいのか客観的に証明する必要もありません。

自分自身のソーシャルワーカーになる、もちろんこのような考え方は私ならではのことであり、正しいと言われるのかそうでないかも分かりませんが、とりあえず相談援助には限界があるのだと身を持って感じることが出来たのは今後に活かしたいと思います。。

でもね、無意識にでもこうやって自分をなんとかしようと思ってここまでこれたことは本当にすごいなぁと思っているし、そんな自分を褒めています。
おかげで、変われそうな予感がするよ。


この文章は思考整理のために書いたものでしたが、せっかくなので載せてみました。こんなに長い文章を読んでくれた方は、ありがとうございました。